院長メッセージ
平成28年4月に、徳島大学の教養教育について責任を持って運営する全学的な組織として教養教育院が設置されました。「教養教育」は英語では「リベラル・アーツ」ですが、最近は、教育問題に関してばかりでなく、グローバルな問題に関してもよく登場する言葉です。混沌とする国際情勢の中で、今、「リベラル・アーツ」ということが強調されるようになってきました。高等学校のレベルでも、世界を視野に「リベラル・アーツ」に大きく力を入れている高等学校があります。
教養教育院の英語名にこの言葉を使っていますが、「リベラル・アーツ」は、さまざまな分野の知識を獲得した上で、あらゆることを俯瞰的に大局的に総合的に眺め、様々な複雑化した諸問題を多角的、多面的、融合的な視点から柔軟に捉えて思考し、よりよい解決策を模索してゆくというものです。まさに、徳島大学が皆さんに身につけてもらいたい力であるとともに、生涯に渡って養わなければならない力です。
教養教育では、4つの教育科目群に分けて、多様で多彩な授業が提供されています。多くのものから選べるということは、学ぶ上からはとても大切なことです。あのマララさんが国連でのスピーチで述べたように、「学ぶ」こと、「自由に学べる」ことが、世界的な観点から考えても非常に大切なことです。
大学に入って、これでやっと受験勉強から解放されたと思っている人が多いでしょう。ですが、大学に入ったということは、これからの始まりです。将来に向かう自分というものを活かすも活かさないも、すべては自分次第です。自分を少しずつ変えなくてはなりません。教養とは、自分を常に変えながら育てること、自らを活かす自分の道を見出してゆくことに他なりません。
皆さんがよく知っている太宰治に『惜別』という作品があります。中国の大作家魯迅の若き日を描いたものですが、医学で人々を助けるという夢を抱いて今の東北大学医学部に留学した魯迅は、言葉を通して人々の考え方を変えなければ国は変わらないと考え、文学の道を目指します。「無用の用」という言葉が出てきますが、文学のようなすぐには役に立たないものが、実は人々の考え方を変える大きな力を持っているのです。教養もその通りなのです。今役に立つかどうかに捉われがちですが、学んだこと、そして学ぶ姿勢が、自分の将来に生きてきます。
大学では学びが大きく変わります。範囲が決められ与えられたものを理解し覚えるドリルのような学習から、自ら知識を求めて世界を広げ理解を深める学修へと転換がなされます。それに気づかない人が教養なんて、パンキョーなんて、とか言っていますが、自分の視野が狭ければ、狭いなりの世界しか見えません。いいものやチャンスが目の前にあっても見えないのです。早く専門の勉強をという気持ちはわかりますが、セレンディピティという言葉があるように、柔軟な感性、つまりは教養を常々磨いておかなければ、専門の理解もできないし、イノベイティブな出会いと発見はさらに困難です。
大学に入って、あらゆる可能性の広がりの、まさにその出発点に皆さんは立っています。大人であること、社会人であることを自覚し、立派なマナーを身につけた一個の人間として、学ぶことのできる自由を手にしたことを考えてみてください。
新しいことに意欲的に挑戦しつつも、ぜひ地道な日々の学びを決して忘れることなく、スケールの大きな大学生活を楽しんでください。